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東京地方裁判所 昭和37年(合わ)193号 判決 1962年12月03日

判   決

政雄こと

大井政男

右の者に対する殺人、窃盗(但し、第三の公訴事実については予備的訴因占有離脱物横領)被告事件について、当裁判所は、検察官平井清作出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一〇年に処する。

未決勾留日数中、一〇〇日を右本刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三〇年五月頃から東京都千代田区神田駿河台二丁目四番地所在の飲食店「サンヤン」にバーテンダーとして働くようになつたが、同年秋頃から同じく「サンヤン」の店員をしていた笹井洋子(昭和八年四月一九日生)と親しくなつて間もなく情交関係を結ぶようになり、昭和三三年夏頃から同都豊島区池袋七丁目一、九六四番地旭荘アパートにおいて同棲を始め、ついで昭和三五年一二月頃、同都板橋区弥生町三一番地翠山荘アパート第一号館に移り、昭和三六年五月には同女と結婚式を挙げたものの、婚姻届をしないまま引き続き同アパートにおいて同棲していた。その間、被告人は前記「サンヤン」を辞め、都内の喫茶店等数ケ所でバーテンダーとして働いたのち、昭和三六年一一月末頃、洋子の実兄笹井昭二の世話で同都台東区浅草向柳原町二丁目一八番地所在の望月製袋印刷株式会社浅草工場に工員として勤務するようになつたが、昭和三七年二月頃から同社の女工員依田紀子と親しくなり、同年四月三日頃、紀子と外泊して情交関係を結んだところ、生来勝気な洋子はこれにいたく立腹し、被告人の衣服に塩酸をかけたり、また被告人に離別を求める等し、これに対して被告人は同女の申出を拒絶したのみか、その頸部を締めるような行動があつたため、同女は警視庁板橋警察署へ善後策の相談に赴くという事態まで生じ、同年五月初め頃、被告人としても遂に別居を承諾せざるを得なくなり、やむなく同都港区麻布竹谷町二番地に居住する叔母阿部ミツ方へ身を寄せる結果となつたが、洋子はさらにその後実兄雄策らの勧めにより、東京家庭裁判所に対し、被告人を相手方として内縁関係の解消と慰藉料の支払いを求める家事調停の申立をなすに至つた。しかし被告人は、なお同女に対する愛着を断ち切れず、洋子の実兄らに秘して前記翠山荘アパートへ出入し、同女に対して復縁を求めていたが、同女もまた被告人の出入を拒絶する程の強い態度をとらず、かえつて被告人に対しては、実兄らの手前別居したり家事調停の申立をしたもののこれは自分の本意ではなく、将来一、二年被告人が真面目に生活すれば復縁も可能であるかの如き言質を与え、かつ、被告人の要求に応じ情交関係を結ぶこともあつた。このような経緯ののち、

被告人は、

第一、同年五月二八日午後九時すぎ頃、前記翠山荘アパート内の洋子の居室へ赴き、同女と雑談中、たまたま話題が「サンヤン」の従業員が伊豆下田方面へ団体旅行した際の状況に及ぶや、同女は旅行先で撮影したと称し、かねて同女との間にとかくの風評があつた男の店員と二人で肩を組んだ写真を示し、恰もその男と特別な交際があるような口吻をもらしたことから、自分と別居中、すでに他の男に心を寄せたのではないかと思惟し、はげしい嫉妬を感じながらも同女が即座にその写真を破り棄てたため、その場は一応波乱もなく治り、午後一〇時すぎ頃、情交関係を結ぶべく同床したが、その際過つて同女の唇を強く咬んだところ、同女はその態度を一変し、情交を拒絶すると同時に今後被告人がたとえ真面目な生活に戻つたとしても復縁に応ずる意思はないことを告げ、即刻この部屋より退去するよう強い語調で迫つたので、その態度の急変ぶりと、これにより将来復縁の希望は断たれるに至つたものと考えたこと、並びに先刻写真のことではげしい嫉妬を感じたこと等が相俟つて同女に対する憤満が一時に嵩じ、突嗟に同女を殺害しようと決意し、仰臥していた同女に馬乗りとなつて両手でその頸部を強く締めつけ、途中で一旦手を放すや、同女が再び呼吸を始める気配が見えたため、さらに引き続き傍にあつた日本手拭(昭和三七年押第一、二七七号の二)で頸部を締め、よつて即時同所において同女を右絞頸により窒息死せしめて殺害し、

第二、前記のとおり、笹井洋子を殺害して間もない同日午後一一時頃、右翠山荘アパート内の同女の居室において、同女が生前所持したままの状態にあつた現金七、〇〇〇円を窃取し、

第三、右現金を窃取後、同所を立ち去り知人と都内のバー等を廻つて飲酒したり旅館で宿泊したうえ、翌五月二九日午前八時頃、前記翠山荘アパート内の洋子の居室へ赴き、同女が死亡した結果その相続人笹井雄策ほか六名の共有に帰したが、まだ何人の占有にも属さない状態にあつた同女名義の郵便貯金通帳一冊(預金高一一、〇〇〇円)を、自己において預金を引き出し使用する目的で、ほしいままに取得し、同所より持ち去つて横領し

たものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示各所為中、第一の事実は刑法第一九九条に、第二の事実は同法第二三五条に、第三の事実は同法第二五四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条第一項第一号に各該当するところ、判示第一の殺人の罪については所定刑中有期懲役刑を、また判示第三の占有離脱物横領の罪については所定刑中懲役刑をそれぞれ選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により最も重い判示第一の殺人の罪の刑に同法第一四条の制限内で法定の加重をなし、その刑期範囲内において被告人を懲役一〇年に処し、同法第二一条を適用して未決勾留日数中、一〇〇日を右本刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項但し書を適用してこれを負担させない。

なお、証拠によれば被告人は、判示第一の殺人の罪につき、犯行後六日を経過した昭和三七年六月三日、警視庁池袋警察署へ自首したことは明らかであるが、本件犯行の動機、態様並びに犯行後における被告人の行動特に笹井洋子を殺害したのち、同女が所持していた現金七、〇〇〇円を窃取したり、翌日同所へ赴いて同女名義の郵便貯金通帳を持ち去り預金を引き出したうえ、これらの金員を自己の飲食遊興に費消する等の事情とを比較考察するときは、まだ法律上自首減軽すべきものとは認められない。

(公訴事実第三の窃盗の訴因に対する判断)

本件公訴事実第三の主たる訴因は、要するに「被告人は五月二九日午後二時頃、翠山荘アパート内笹井洋子の居室において、笹井洋子の相続人笹井章夫ら若くは同アパートの管理人鈴木やよいの所持にかゝる洋子名義の郵便貯金通帳一冊を窃取した」というのであり、さらに検察官は、所持の点につき、仮に洋子の相続人若くは管理人の占有が認められないとしても、被害者笹井洋子自身の占有を認めることが可能である、蓋し、被害者の死後直ちに又は間もなく財物を奪取した場合には、死者の占有を犯したものとして窃盗罪の成立を認めた判例も存在する。「直ちに」又は「間もなく」という文言は被害者において生前占有していたことが明らかであることの一つの状況として挙げられているものと解すべく、本件においては洋子の死後納一五時間を経過したにすぎず、しかも洋子の死体の存する部屋の中で財物を奪取しているのであるから、死者の占有を犯したものというべきである、と主張する。

一、まず本件郵便貯金通帳が、笹井章夫ら洋子の相続人若くはアパートの管理人である鈴木やよいの所持にかゝるものといい得るか否かについて考察する。証拠によれば、笹井洋子は昭和三七年五月初め頃、被告人と別居するようになつてからは、前記翠山荘アパートにおいてひとり居住していたものであつて、実兄笹井章夫を始め相続人となつた者とは全く独立して生計を営んでいたこと、また章夫らにおいて直接的には勿論、間接的にも同女の財産の管理に当つた事跡は窺われないこと、一方右アパートは鈴木やよいが実際の管理に当つていたものであるが、居住者は各自独立して生活し、管理の実態もアパートの廓下並びに周辺の清掃をしたり、時には廊下や周辺を見廻つていた程度であつて、郵便物等は居住者が在室の際は直接その部屋まで配達するのを原則とし、たゞ不在の場合のみ管理人が一時預つて届けるという取扱いにすぎなかつたこと、各部屋の鍵は居住者が各自所持していて管理人は合鍵を所持していた訳ではなく、従つて仮に緊急事態が発生しても管理人において自由に部屋へ出入することはできない状態であつたこと、アパートへ出入する者を管理人がその都度取り次いだり、たしかめることをしなかつたのは勿論、建物の構造上管理人の目に触れずに出入することも可能であつたこと、さらに被告人が六月三日、池袋警察署へ自首して本件殺人事件が発覚するまでは、笹井章夫ら洋子の相続人となつた者並びにアパートの管理人たる鈴木やよいを始め何人も同女の死亡の事実を知らなかつたこと等が認められる。このように洋子とその相続人となつた者との間における生前の交際状況並びに鈴木やよいのアパート管理の実態と、同人らにおいてすくなくとも五月二九日当時は洋子の財産を現実に支配する意思が全く存在しなかつたこととを併せて考察すれば、同人らが洋子の死亡後その財産を所持するに至つたものと認めることはできない。

二、次に刑法上、死亡した笹井洋子自身の占有を認めることができるか否かについて考察する。この点につき自己の責任において人を死亡させた者が、死亡直後、死者の懐中から財物を奪取した行為に対し窃盗罪の成立を認めた判例が存在することは検察官の指摘するとおりである(昭和一六年一一月一一日、大審院第四刑事部判決参照)。そして人の死亡により原則としてその者の占有を離脱するものではあるが、刑法上財物に対する占有の有無を論ずるに当つては、ただ右の一事のみを捉えて画一的に決定することは適当でなく、その際における具体的事情例えば、財物奪取者の被害者の死亡に対する責任の有無、財物奪取と死亡との時間的接着並びに機会の同一性の有無等の諸点を考慮のうえ財物の占有を保護する刑法の理念に鑑み、なお死者において財産を占有しているものとの評価を与えることが相当な場合も存在する(それ故、判示第二の事実については、洋子はすでに死亡していたが、被告人が洋子を殺害したものであること、殺害後間もなく、かつ、同一と見られる機会に現金七、〇〇〇円を奪取したものであること等の事情を考慮し、死亡した洋子になお現金七、〇〇〇円の占有ありと認めて本件を窃盗罪に問擬した次第である。)。しかし、これには当然一定の限度が存在することはいうまでもなく、たとえ財物奪取者が被害者の死亡に対し責任を有する場合であつても、死亡後すでに相当の時間を経過し、または死亡と全く別個の機会に財物を奪取したようなときには、最早死者の占有を犯したとはいい得ないものと解する。この点検察官は、前示判例が指摘する死亡後「直ちに」という文言は被害者において生前占有していたことが明らかであることの一つの状況として挙げられているものである旨主張するが、むしろこれは死者に占有を認め得る時間的限界を示したものと見るのが相当である。今これを本件について見るに、証拠によれば、判示のとおり被告人は五月二八日午後一一時頃、殺害した洋子の居室から現金七、〇〇〇円を窃取して同所を立ち去り、知人と都内のバーを廻つて飲酒したり、旅館に宿泊して右金員を費消したのち、洋子が生前郵便貯金通帳を所持していたのを想起するや、預金を引き出して自己において使用しようと考え、殺害後九時間位経過した(検察官は一五時間位経過後というが、証拠によれば九時間位経過後と認められる)翌二九日午前八時頃、再び洋子の居室へ赴いて郵便貯金通帳を持ち去つていることが明らかであるから、たとえ被告人が洋子を殺害した本人であるとしても、すでに九時間位経過した場合には死亡後「直ちに」とはいい難く、また死亡と全く別個の機会に持ち去つているのであるから、最早死亡した洋子に右通帳の占有を認めることはできないものといわなければならない。

以上の理由により、検察官のこの点に関する主張は採用し得ない。

三、また証拠によれば、被告人が洋子の居室より右貯金通帳を持ち去つた際、その他何人もこれを所持していなかつたことが明らかであるから、結局本件については主たる訴因である窃盗の点はこれを認めることができず、予備的訴因たる占有離脱物横領と認定した次第である。

よつて主文のとおり判決する。

昭和三七年一二月三日

東京地方裁判所刑事第二部

裁判長裁判官 播 本 格 一

裁判官 近 藤   暁

裁判官 小 栗 孝 夫

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